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初の護憲・非核都市宣言

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1982年8月15日、東京都中野区が自治体として
初めて「護憲・非核都市」を宣言。

昭和57年8月15日
まちには こどもの笑顔があるひろばには 若者の歌があるここには 私たちのくらしがある
海を越えた かなたにも同じ人間の くらしがある
いま 地球をおおう 核兵器はあらゆる いのちの営みをこの しあわせを 奪い去る
私たちの憲法はくらしを守り 自由を守り恒久の平和を誓う
私たちは この憲法を大切にし世界中の人びとと 手をつなぎ核をもつ すべての国に核兵器をすてよ と 訴える
この区民の声を憲法擁護・非核都市 中野区の宣言とする

この年、私は中野区で浪人生活をしていた。

ただ、転入手続きをしていなかったので
中野区民ではなかった。

中野区が区民の請願を聞き入れることのできる
議会を持つ自治体であったことを今になって知りました。

日本で最初に非核自治体宣言をしたのは
愛知県の半田市(1958年6月6日)だそうです。

中野区は護憲・非核都市宣言の後も
運動を進め、法的拘束力を持つ非核条例を制定している。

ここまで取り組む自治体は、そう多くはない。

今日は、雨なので母も伯母も外には
出ないだろうと思っていた。

特に母は、洗濯機の使い方が分からなくなっていた。

にもかかわらず、ちょっと目を離した隙に
雨の中外の仕事に出ていた。

お昼に実家に行った初めて気づいた。

津具はどこに置いたか分からない上、
大根、胡瓜、茄子を収穫したまま置きっ放し…。

畑の様子を見ていなかったからと
昨日草取りをしていたところを見て回っていた。

本当に訳が分からない状態になっている。

午後から、母が外に出ないようにする為に
どうしようかを考えていたら事務所に来客…。

札幌で自営業をしている義弟だった。

彼が来てくれたことで、母を雨の中の
作業に行かせず済ませることが出来た。

夕食の準備を少し早めに始め、
母には漬け物作りをして貰うことにした。

明日は、健康診断で要検査となったので
母を病院に連れて行き、外の作業をさせないようにできる。

夕食の準備を終えてから勉強をして帰る。

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